Monsieur Voice / Artist Nude

1999〜2017 携帯サイトARTIST NUDE "ムッシュ@Rock" より

【ナ】


 

ニール・ヤング

バッファロー・スプリングフィールドの一員として音楽シーンに登場
カナダ出身のニール・ヤングが友人のスティーブン・スティルスをロサンゼルスに訪ねたのは1966年のこと。
「バッファロー・スプリングフィールド」を結成した彼らは後に名作と評価されるアルバム数枚を残したが、メンバー間のトラブルが絶えずグループは短期間の成功の後68年に崩壊した。
【ムッシュから一言】
60年代はまだ彼のことを全く知りませんでした。
英国ばかり観ていたからかもしれません。
「バッファロー・スプリングフィールド」と「ポコ」、「バーズ」あたりがごちゃまぜになる程度でなら知ってはいましたが、さすがにメンバーの名前までは...。
 
スーパー・ユニットに参加する一方ソロとしても成功
ソロ活動をスタートさせた彼はその後スティルスが結成したCSNからの依頼を受けアルバム「デジャ・ヴ」に参加。
これを歴史的ヒット作とした上ソロでも72年に「孤独の旅路」が全米ナンバー1ヒットを記録。
クレイジー・ホースというよき伴侶も得、70年代の音楽シーンをトップ・ランナーとして走り抜けた。
【ムッシュから一言】
70年代に入るとアメリカン・アコースティック音楽を良く聴くようになったのですが、それは「ボブ・ディラン」ではなくやはり「CSN」と「ジェイムス・テイラー」でした。
 
一作毎に作風を変化させた80年代
80年代は音楽シーンの変化や自身のレコード会社移籍などがあり、ニール・ヤングの活動は次第に気まぐれなものとなっていった。
発表するアルバムは一作毎に作風が変わりロカビリー、カントリーからテクノまでの振れ幅。
熱心なファンも彼から離れていき、アルバム・セールスは作を追う毎に減少していった。
【ムッシュから一言】
本当に「CSN」は最高です!ニールが参加した「デ・ジャヴ」は凄いです。
このあたりでようやくちゃんとニールを認識し、更には彼のよき伴侶「クレイジーホース」のファンになっていくわけです。
 
現役最長老のロック・カリスマとなる
90年代にロック・シーンを席巻した「グランジ・ロック」は多くの80年代アーティストを過去のものとしたが、逆にニール・ヤングはこの流れの“親玉"的存在として君臨。以降も充実作を次々と発表し、衰えを知ることのない強烈なライブ・パフォーマンスは新世代のロックファンをも魅了し続けている。
【ムッシュから一言】
テクノにまで手をつけたりした寄り道がニール・ヤングの大いなる魅力になっております。
ライブも凄いし「1等賞」です。

ニルヴァーナ

アメリカ北西部のパンク・シーンから登場
1986年にワシントンのアバディーンという小さな町で結成されたニルヴァーナ(涅槃)はパンクロックの盛んなシアトルに進出、1989年にインディ・レーベルからリリースしたファーストアルバムがまずイギリスで評判となり、各地でライブ動員数を増やす中メジャー・レーベルからのデビューを決めた
【ムッシュから一言】
初めて聞いた時アメリカのバンドと思えなかった。
イギリスで先にヒットしたみたいだし、音もね。
 
メジャーデビューを果たしメガセールス・バンドに成長
1991年にリリースした「ネヴァーマインド」は新世代の音楽ファンの支持を得て数百万枚のメガセールスを記録。「グランジ・ロック」の旗手として一躍時代の寵児となったが、コバーンの重度の薬物依存やグループ運営に介在したコートニー・ラヴの存在など、後に深刻化する数々の問題が表面化したのもこの時期であった。
【ムッシュから一言】
メジャーに移籍して大ヒットして彼らの不幸が始まったね。
バンドにはよくある話だ。
 
成功が引き起こした大混乱の中、カート・コバーンの死
「ネヴァーマインド」の成功の中生活を始めたコバーンとコートニー・ラヴの2人は、その常識はずれな言動からゴシップ紙の格好の餌食に。セカンド・アルバム「イン・ユーテロ」リリース後コバーンの奇行が目立ち始め、94年4月の失踪数日後に彼はシアトルの別荘で、散弾銃で頭を撃ち抜いた姿で発見された。
【ムッシュから一言】
ハードロックとパンクの融合されたサウンドをグランジと呼ぶならば90年代の5本の指に入るバンドでしょう。
 
コバーンの死後も続く伝説
コバーンの死後まもなく活動停止が宣言されたニルヴァーナは、現在では90年代最も重要なロックバンドと見なされるまでになっている。またデイヴ・グロールのフー・ファイターズ、コートニー・ラヴの成功も「神話化」に拍車をかけ、コバーン崇拝者は現在なお増加の一途である。
【ムッシュから一言】
カート・コバーンの死は悲しい出来事だけれども“フーファイターズ"もいいバンドだよ!