Monsieur Voice / Artist Nude

1999〜2017 携帯サイトARTIST NUDE "ムッシュ@Rock" より

【ワ】


 

ワム!

80年代ボーイバンドブームの先駆け、ワム!誕生
現在40代のかつて80年代に洋楽にどっぷり浸った連中にとって、ワム!というグループは一種独特の印象を今でも持ち続けているに違いない。そんなワム!のスタードはロンドン郊外のブシェイで同級生だったジョージとアンドリューの2人がエグゼキュティヴというスカ・バンドを経てデュオを結成したのが始まり。70年代ソウルの熱狂的ファンだったジョージが中心となって書いた曲を地元のインナーヴィジョン・レーベルに持ち込んだのが認められ、デビュー作『ファンタスティック』(1983)とデビュー曲「ヤング・ガンズ」(全英3位)で一気にポップ・シーンに登場、この年「ワムラップ」(全英8位)「バッド・ボーイズ」(全英2位)「クラブ・トロピカーナ」(全英4位)と相次いでヒットを飛ばし人気を決定づけた。
【ムッシュから一言】
60年代、70年代のUK音楽が大好きだったのですが80年代に入って私にとってとてもつまらん音楽を作り出すUKになってしまいました。特に「ワム」とか「デュラン・デュラン」などは大嫌いでこの頃は自然にイースト・コーストウェスト・コーストのフュージョンに興味を持ち始めるのでした。
 
全米制覇とジョージのソロ活動開始
「バッド・ボーイズ」が全米でも小ヒットとなり、ワム!U.K.の名前でアメリカ進出を果たした2人は2作目『メイク・イット・ビッグ』(1984)からのシングル「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がいきなり全米No.1を獲得、アルバムも全米No.1となり、その派手でポップなイメージ満載のビデオクリップはMTVでパワープレイとなり、全米でもその人気を決定付けることに。グループとしての絶頂を極める中、ジョージはジョージ+ワムの名義で泣きの名曲「ケアレス・ウィスパー」(1984)をヒットさせ、後のソロ活動の前哨戦を開始。しかしワム!も「恋のかけひき」(全米1位)「フリーダム」(同3位、全英1位)を次々とヒットさせていた。最近TVドラマに使用された、クリスマス・ソングの定番「ラスト・クリスマス」(全英2位)がヒットしたのもこの頃。
【ムッシュから一言】
ジョージ・マイケルがいくらブルーアイドソウルを歌ってくれても私には聞こえて来ません。60年代のスティーヴ・ウインウッドの音楽を聴いてしまいます。
 
バンド解散、されどジョージの快進撃は続く
85年「アイム・ユア・マン」(全英1位、全米3位)、86年「エッジ・オブ・ヘヴン」(全英1位、全米10位)とワム!の快進撃は続いたが、この頃マネージャーがワム!の権利の一部を南アフリカの財閥に売ろうとしたのに反発したジョージが電撃解散を発表。しかしジョージの活躍は特にアメリカで止まるところを知らず、87〜88年にかけてアレサ・フランクリンとのデュエット「愛のおとずれ」(1位)を皮切りに問題作「アイ・ウォント・ユア・セックス」(2位)、そして「フェイス」「ファーザー・フィギュア」「ワン・モア・トライ」「モンキー」の全米No.1の4連発と正に破竹の勢いで全世界のポップ・シーンに君臨する存在となった。90年には「プレイング・フォー・タイム」、そして92年には憧れのエルトン・ジョンとエルトンの大ヒット「僕の瞳に小さな太陽」を全米No.1とし、彼を止める者はいないかに思えたのだった。
【ムッシュから一言】
バンドでもソロでも大成功なさっているようですが何故かチャリティー系の活動が多い様でそれが自分のプロモーションに関係してたりしてやはり個人的には嫌いです。チャリティーなら誰も見えない所で静かにやって頂きたく存じます。
 
ジョージの新たな一面
90年代に入りアルバム『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス, Vol.1』(1990)のプロモーションの不手際を不服としてソニー・レコードとの訴訟に入ったジョージは95年に敗訴後、ドリームワークスに移籍して『オールダー』(1996)をリリース、「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」(全米7位、全英1位)「ファーストラヴ」(全米8位、全英1位)のヒットは出たもののブランクが響いたか一時の勢いはなかった。折しも1998年にはビバリーヒルズの自宅近くの公衆便所で同性愛行為を行っていた廉で逮捕され、その後CNNでゲイであることをカミングアウト、その新たな一面を露わにしたのだった。その後も『ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー』(1999)そして昨年は久々の新作『ペイシェンス』(2004)をリリース、その健在振りを見せてくれた。
【ムッシュから一言】
色々と言いましたが「ラスト・クリスマス」と言う曲は最高ですな。