Talking About Monsieur

 ブルーズマン
永井“ホトケ”隆
 ながい・ほとけ・たかし

1970年代から日本のブルーズ界を牽引し続けている永井“ホトケ”隆さんは、現在、自ら率いるバンド<blues.the-bucher-590213/ブルーズ・ザ・ブッチャー>を中心に精力的なライヴ活動を行っています。DJを務めるFMラジオ番組『BLUES POWER』(2007年スタート)でもブルーズの魅力を徹底発信。そんなホトケさんのことをムッシュかまやつ(以下、ムッシュ)氏は生前、“僕のブルーズの師匠です”と明言していましたが、生まれや育ち、世代も違うホトケさんにとってムッシュは一体、どんな存在だったのでしょう。赤ワインを呑みながら尽きない思い出の一部を話してくれました。
 



――<ブルーズ・ザ・ブッチャー>とムッシュのコラボレーション・アルバム『ロッキン・ウィズ・ムッシュ』を発表してから、ちょうど10年ですね。
 
永井“ホトケ”隆(以下、ホトケ):実は、僕が1番最初にナマでエレキ・ギターの音を聞いたのはスパイダースなんです。確か、中学2年生でした。その頃、僕はビートルズ・マニアで親父が持っていた古賀ギター(古賀政男モデル)を弾きながらひとり、部屋で歌っていたんですよ。でも、やっぱり、ナマでエレキ・ギターの音を聞きたくなるじゃないですか。そんな時にピーター&ゴードンの来日ライヴがあると知ってね。
 
――「愛なき世界」の大ヒットで知られるイギリス出身のデュオですね。
 
ホトケ:当時、僕は父の仕事の関係で名古屋に住んでいたんですが、金山体育館でライヴがあると知り、兄貴について見に行ったら前座がスパイダースでした。しかも、ピーター&ゴードンはバンドを連れてこなかったので、スパイダースがバックで演奏したんです。つまり、僕が1番最初にナマで聞いたエレキ・ギターの音はムッシュなんですよ。弾いていたのは卵型のギター<VOX Teardrop>で、“ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズと同じギターだ!”と興奮しました。当時、あのギターを持っている日本人は他にいなかったんじゃないかな。
 
――その後、ホトケさんは同志社大学在学中の1972年に日本で初めて黒人ブルーズに取り組んだ<ウエストロード・ブルーズバンド>(メンバー:塩次伸二、山岸潤史、小堀正、松本照夫)を結成し、関西ブルーズ・ブームの火付け役として大活躍、レコード・デビューは1975年でしたよね。
 
ホトケ:デビュー直後にプロモーションで、ムッシュがパーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演し、初めて直にお会いしたんですが、その時は特に深い話をしたわけではありません。少し後に僕らが<ウォッカ・コリンズ>(ムッシュが1970年代に活動していた日米混成ロック・バンド)の前座として音楽イベントに出た時もお話するどころか、覗いた楽屋に綺麗な女の人たちがたくさんいて、田舎者の俺は萎縮しちゃいました(笑)。
 
――その後も、密かに<ウォッカ・コリンズ>や<ワン・ナイト・スタンド・ブラザーズ>(ムッシュが1980年代に結成したバンド)のライヴを見に行くなど、ホトケさんはずっとムッシュを追い続けていたそうですね。そういう時も楽屋挨拶はしなかったのですか?
 
ホトケ:しませんよ。気恥ずかしいですし、昔のミュージシャンはみんなそうでしたよ。今の若いミュージシャンみたいにすぐ仲良くなったりしない。逆に、同年代のミュージシャンに対してはメンチ切ってましたから(笑)。ジョニー吉長に初めて会った時も“お前がイエローのドラムか”ってね(笑)。ですから、ムッシュと本当の意味で再会したのは1980年代にビーイングが主催したブルーズ・イベントの時です。出演者同士ということで改めて紹介していただき、ご挨拶しました。その頃、僕は月刊誌で色々なバンドマンにインタビューをする<バンドマン列伝>というページを持っていたのでムッシュにもオファーしたら快諾してくださって。
 
――その連載をベースにした1991年発行のインタビュー集『ENDLESS BOOGIE(終わりなきブギ―)』(少年社)におふたりのトーク・セッションも掲載されていますが、本音トークが満載でとても興味深い内容でした。
 
ホトケ:あの本は絶版になってしまったので、今、入手が難しいんです。でね、インタビューはムッシュの提案で、ご自身が隠れ家と呼んでいたマンションの一室で行いました。ライブハウス<六本木ピットイン>(1977年オープン、2004年閉店)の近くにあったモノだらけの部屋でお話を伺ったんですが、その時に中2でスパイダースのライヴを見たとお伝えしたら、“ちょっと待ってて”と言ってムッシュが部屋から出て行ったんです。戻ってきた姿はミリタリールック! 中2で見たライヴ衣装にわざわざ着替えてくれたんですよ。“そうです、これこれ!”と声を上げてしまいましたね(笑)。それで、スパイダース時代の話を皮切りに根掘り葉掘り、色々、聞き出しました。だってね、ジャズやって、カントリーやって、グループサウンズをやって、フォークやって、ロックやってというミュージシャンは他にちょっといませんからね。そういう人がテレビ番組にも出たりしながらどうやって生きてきたんだろうと凄く興味があったんですよ。ブルーズの深い話をするようになったのもその時からです。
 
――初めてセッションしたのはいつですか?
 
ホトケ:インタビューした後です。僕がライヴをしているとムッシュがフラっと会場に現れるようになりました。最初に音を出したのは(東京・高円寺の)ライブハウス<JIROKICHI>だったんじゃないかな。<ブルーズ・ザ・ブッチャー>の前身バンド<ブルーズ・パワー>のライヴも見に来てくれていましたよ。メンバーの沼澤(尚)君とも親しかったし、亡くなった浅野(祥之)君もムッシュと付き合いがありましたから。
 
――一緒にプレイしている気分というのは?
 
ホトケ:最初の頃は“俺、スパイダースの人とやっているよ”と心の中で叫んでいました(笑)。それにしても、ムッシュとのライヴはいつも面白かったですね。例えば、始まる前に“ソロは回さないでください”って言うんです。でも、僕らとしては最低1、2曲は弾いてもらいたいので本番でいきなり合図を出すと、かなりアバンギャルドな演奏をするんですよ。アーム使ってギュイン、ギュインとかあんなの誰も出来ないです(笑)。ライヴだけじゃなく、ムッシュの残した音自体が結構、アバンギャルドでしたしね。「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(1975年発表のシングル「我が良き友よ」のB面)も当時にすれば先を行っていたし、スパイダースの後期の作品もかなりサイケデリックですから。いつだったか、ムッシュが“ビートルズの良さはアバンギャルドとポップス性のバランスがとれていることだと思う。ビートルズはいつも何だろうコレ?みたいなことを入れ込んできて、そこがいいんだよね”と言っていましたが、ムッシュの演奏や楽曲もまさにそうでした。どこかで壊そう、何か面白くしてやろう、みたいに思っていたんじゃないかな。
 
――そんなムッシュと<ブルーズ・ザ・ブッチャー>は全国ツアーをするようになり、アルバム『ロッキン・ウィズ・ムッシュ』を完成させたわけです。
 
ホトケ:思い切ってレコーディングをお願いしたら即OKしてくれて。といっても、普段、セッションしている曲をそのまま録音しただけですが(笑)。まあ、今にして思えば、本当に形にしておいて良かったです。アルバムが完成した後も全国各地でライヴをしました。そうだ、<ブルーズ・ザ・ブッチャー>はメンバー全員、A型なんです。そこにB型のムッシュがぶち壊しにやって来る、それが凄く良かったですね(笑)。ツアーはご想像通り、楽しかったですよ。新幹線移動の時は必ず売店でビールを買って来て“ハイ、配給”と言って渡してくれるんです。指定席もない在来線に乗っている時は“田園風景を見ながらゆっくり行く感じがいいですね”と寛いでくれましたし。それと、本当に美味しいお店をよくご存知で、連れて行っていただいたお店を挙げたらキリがありません。神戸のフレンチやシェリー酒専門店、石川県金沢市にあるお寿司屋さん、札幌のジンギスカン、博多のフランス料理屋さんではサプライズで僕のバースデー祝いをしてくれました。お店の方がフランス語でハッピー・バースデーを歌ってくれるなんて生まれて初めてでしたよ。大阪の黒門市場にあるうどん屋さんのカレーうどんも美味しかったなあ。ムッシュは高級店を贔屓にしていたのではなく、美味しくて居心地の良いところがお好きでした。
 
――ところで、ホトケさんはご自身の著書『ブルーズ★パラダイス』(中央アート出版社:1997年発行)で“日本の音楽の世界で兄のように思っている人は二人。ブルーズとロックに対していつも誠実で、ミュージシャンとしてヒップな鮎川誠とムッシュかまやつひろしさんだ”と書かれています。
 
ホトケ:ムッシュってね、いつでもどこでも誰と会っても全然、変わらないんです。例えば、ツアー先で見知らぬおばちゃんがムッシュを指しながら寄ってきても嫌な顔をせず、笑顔で対応していました。そんな人、ムッシュの他に鮎川君ぐらいしか知りません。あのふたりって、ちょっと似ているところがあるんですよね。
 
――具体的には?
 
ホトケ:ムッシュは“有名になってふんぞり返っているミュージシャンより、コンビニで働きながら、いつか世に出ようとしているアマチュア・ミュージシャンの方が好きだ。音楽というのは根本的に上手い、下手じゃない”と言っていましたが、実は、鮎川君も全く同じことを言っているんです。“エブリバディ・ロックン・ロール、誰でもロックン・ロールは出来る”ってね。
 
――示唆に富んだ言葉です。
 
ホトケ:僕はこれまで誰かに人生相談をしたことがないんですが、ムッシュには1度だけ、“ヒット曲がないままこのトシまで来ちゃいましたが、これでいいんですかね?”と訊いたことがあるんです。そうしたら“チャンスはなかったんですか?”と訊き返されたので“その昔、ヒットしそうな提供曲の話があったものの、どうしてもプライドを捨てきれなくて断ったことがあります”と正直に言ったら、次は家族のことを尋ねられたので答えたところ“充分じゃないですか。家もあり、子供が独り立ちして、あと何が必要ですか? 1曲でもヒットすると、露出が少なくなった時に<あの人は今>みたいになっちゃいますし、芸能は面倒なこともありますからホトケさんは来ない方がいいですよ。このままスクスク育ってください”と言われたんです。そういうアドバイスが出来るのもアンダーグラウンドな世界とメジャーな世界を行き来しているムッシュだからこそ、だなあと。
 
――その時、ホトケさんはおいくつでしたか?
 
ホトケ:50(歳)は超えていました。まあ、相談したと言っても、畏まってどうこうではなく、道を歩きながら話を聞いてもらった感じで。僕にとってムッシュは精神的な支えでしたから、つい、本音が出ちゃったのかもしれません。
 
――ミュージシャンとしての大先輩であり、精神的な支えとなっていたのがムッシュ、ということですね。
 
ホトケ:2015年にB.B.キングが亡くなったじゃないですか。彼にはずっと生きていて欲しかったんです。演奏してようがしていまいが、この世に彼の存在があるということが大事だった。ムッシュも同様で、日本の音楽の世界に生きているだけで良かったんですよ。居るということが凄く大事で、いなくなった時点で家の柱が1本、無くなった感じ。誰もB.B.キングの代わりを出来ないようにムッシュの代わりもいないんです。
 
――B.B.キングといえば、ホトケさんは彼から“Keep on”と言われたのがきっかけでブルーズの道から抜け出せなくなったとか?
 
ホトケ:そう!1972年9月、大阪厚生年金会館で行われたB.B.キングのコンサートで<ウエストロード・ブルーズバンド>は前座を務めたんです。しかも、彼の思い付きでアンコールは一緒にセッションすることになり、そこから僕の人生は大きく変わりました。終演後、楽屋に伺い、お礼を述べたらB.B.キングが“Keep on! Keep on Singing the Blues!”と言ってくれて“俺、イケてるのかな”と思ったのが間違い人生の始まりです(笑)
 
――ムッシュが“Keep on”という言葉を座右の銘にしたのは、ドクター・ジョンのライヴを見た後、CD販売のサイン会で自分もミュージシャンだと告げた時に彼から“Keep on!”と言われたのがきっかけだそうですよ。
 
ホトケ:そうでしたか! 僕と一緒ですね。ホント、あの時、B.B.キングにその言葉をいただいたからブルーズを続けてきたし、そのおかげでムッシュにも会えました。ムッシュとは随分、バカみたいな話をしましたが、その中に真実があったんです。手紙も何回かいただいたな。ベルリンの壁崩壊の時、ムッシュは壁の上で「バン・バン・バン」を歌ったじゃないですか。その時の写真を絵葉書にして送ってくださったり、丁寧なお礼状も頂戴しました。
 
――お礼状とは?
 
ホトケ:ニュー・アルバムが出来ると僕はムッシュにも聞いてもらいたくてご自宅にお送りしていたんです。そうすると、必ず、手書きのお礼状が届くんですよ。電話じゃなくて手紙。そんなミュージシャン、ほとんどいません。ホント、あんなに正しい人、いないです。音楽はもちろん、ムッシュは生き方も全部、正解です! 
 
取材・文 菅野聖
 
永井“ホトケ”隆(ながい・ほとけ・たかし)
1950年生まれ、三重県出身。
同志社大学在学中に日本で初めて黒人ブルーズに取り組んだ<ウエストロード・ブルーズバンド>を結成。1975年、アルバム『ブルーズ・パワー』でメジャー・デビュー。関西ブルーズの中核的な存在となり大活躍。その後もいくつかのバンドで音楽活動を行いながら、ソロ・シンガーとしても多数のギグやセッションに参加。2006年にスリー・ピース・バンド<ブルーズ・パワー>を結成し、翌年、ファースト・アルバムをリリースするが、発売日にメンバーの浅野祥之が他界。数か月後に彼の意志を受け継いだ<blues.the-bucher-590213/ブルーズ・ザ・ブッチャー>を結成し、コンスタントにアルバムを発表しながら精力的にライヴ活動を展開している。2019年5月15日、ニュー・アルバム『Blues Before Sunrise』(P-Vine Record)のリリースが決定(翌16日には東京・高円寺の<JIROKICHI>で発売記念ライヴを開催)。その他、CDのライナーノーツ、雑誌などでエッセイを執筆、著書に『ドッグデイ・ブルーズ』(少年社)、『エンドレス・ブギ』(少年社)、『ブルーズ★パラダイス』(中央アート出版社)などがある。
 
公式サイト
http://www.hotoke-blues.com/