#006

Time Out Tokyo
 
タイムアウト東京代表
伏谷博之
ふしたに・ひろゆき
 
タイムアウト東京副代表
東谷彰子
とうや・あきこ

<タイムアウト東京>代表として東京、さらには日本の魅力を国内外に発信し続けている伏谷博之氏は1990年代にムッシュかまやつ(以下、ムッシュ)氏と出会います。当時、ムッシュは50代半ば、伏谷氏は20代後半。仕事を通じて意気投合したふたりの友情はその後も続き、会えば当然のように音楽の話題で盛り上がり、そこから発展して社会の動きについても意見を交わしたとか。“無責任な<どうにかなるさ>ではないところが凄く好きだった”と語る伏谷氏、そして<タイムアウト東京>副代表の東谷彰子さんにムッシュとの思い出を伺いました。
 


 
——ムッシュとの出会いを教えてください。

伏谷博之(以下、伏谷):僕は大学生の頃からタワーレコード心斎橋店でアルバイトをしていて、その後、正社員になり、1990年、新宿南口店のオープニング・スタッフとして東京に転勤しました。副店長を経て店長になった頃、ナンバー1だった売り上げが渋谷店に抜かされて2番になってしまい、独自の企画で何とか盛り上げたいとフリーペーパーを作ることにしました。

——現在も発行している<bounce>とは別の?

伏谷:全く別です。藁半紙を折り畳んだようなフリーペーパーで、新宿南口店のみで配布するという。丁度その頃、当時、ムッシュのマネージャーをしていた大ちゃん(大作昌寿氏)から“何か一緒にやりましょうよ”と声が掛かり、ムッシュとムッシュの気になっている人の対談を連載することにしたんです。と言っても、お酒を飲みながら話をしてもらうスタイルだったので仕事という感じではなかったですけどね。僕も一緒にメシ食っていましたし(笑)。

——対談のお相手は?

伏谷:HIROMIXや岩井俊二さんなど文化人が中心でしたね。

——連載が終わってもお付き合いは続いたんですね。

伏谷:店にフラリと来てくれたんですよ。ロック系のCDやマルタ・アルゲリッチ、マリア・カラスのアルバムなど色々と買っていただいたし、僕も面白そうな輸入盤が入荷すると連絡をしていました。マリア・カラスといえば、ムッシュ以外、全員女性メンバーというユニット<CALLAS>のレコーディングも見学させてもらいました。

——タワーレコードのみで限定発売した7曲入りのアルバムですね。今、聞いても全く古さを感じさせないイカした作品です。

伏谷:ユニット名の<CALLAS>はマリア・カラスからネーミングし、ジャケットの絵もムッシュが書いています。録音に立ち合って感じたのは、若いミュージシャンと絡む時も一切壁がない。スッと入っていて、それも凄いと思いました。同時にムッシュは洋楽ロック・ファンのイメージだったんですが、日本のアーティストに対しても非常にフェアだと感じたことを覚えています。

——タワレコの新宿南口店でムッシュの楽曲が録音されたカセットも限定販売していたとか?

伏谷:実はある日、“伏谷さん、これからは曲を作ってレコーディングをし、レコード会社を通して何月何日発売!ではなく、アーティストが直接リスナーに音楽を届ける時代になるんじゃないかな。僕は今、クオリティ云々ではなく、昨日の晩に録音した曲をすぐユーザーに渡すといったようなことをやってみたいんですよ”とおっしゃったので“いいですね!”とその企画を煽ったら、数日後にカセットテープをドーンと持って来たんです。「foresta」という曲が入っていたので聞いてみると、森が無くなっていくことに対するメッセージ・ソングで凄く良い曲なんですよ。多分、宅録で1本1本、ご自分でダビングしたんじゃないかな。それで、その曲が入ったカセットをレジ横に置いて500円で販売しました。かなり売れましたよ、在庫は残っていませんからね。まあ、こうやって改めて振り返ると、音楽を直接、リスナーに渡したいと言い始めたアーティストはムッシュがハシリだったのではないでしょうか。

——まさに、今、そういう時代になっていますものね。

伏谷:レコードからCDになり、インターネットの時代に入って配信という流通形態に移る、そういった動きもムッシュは見据えていたように思います。実際、僕と話をする時も音楽はこれからこういう流れになるんじゃないか、といったようなことも話題にしていましたから。ただ、儲かる、儲からないといった言葉をムッシュから聞いたことはありません。ビジネスではなく“文化の届け方”みたいなことを考えていたからだと思いますし、ムッシュは現場を大事にしていたので、自分が好きな、もしくは関わっている“場”がテクノロジーによってどう変わっていくか関心があったように思います。

——ところで、タワレコの新宿南口店で行ったイベントについてもお話ください。

伏谷:ムッシュの家にある膨大なアーカイブをみんなで楽しもうという集いで、今はYouTubeでも見られますが、あの当時は秘蔵とも言うべきユーミン(荒井由実)&“ティン・パン・アレー”(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)と共演した『サンデースペシャル〜セブンスターショー』(TBS系:1976年3月14日放送)のライヴ映像や高橋幸宏さんなどと一緒に赤坂見附のスタジオでレコーディングしているビデオなどを公開してくれました。なんせ、ムッシュの家は博物館並みにアーカイブが揃っていましたからね。

——貴重な経験ですね。

伏谷:西麻布にあったバー<アムリタ>にも随分、連れて行ってもらいました。当時、ルイズルイス加部さんや大口(広司)さんなどが集まって週に1回、夜な夜なセッションをやっていたんです。そこにムッシュも加わって、ずっとギターを弾いているんですけど、午前2時を過ぎた頃になると流石にちょっと疲れるじゃないですか。そうすると“交代!”と言って僕にギターを渡すんです。それで弾かせてもらったりして、ホント、楽しかったですね。いろんなエピソードも伺いましたよ。例えば、日本で初めてファズ、いわゆるギターの音を歪ませて演奏したのはムッシュなんですが、その手法でレコーディングした時はエンジニアを説得するのがとても苦労したと言っていました。

——苦労というのは?

伏谷:レコーディング・エンジニアというのは技術者なわけで、綺麗に録音してナンボでしょ。それなのにメーターを振り切って録音させるわけですからね(笑)。

——(笑)。ところで、伏谷さんはタワーレコードの代表取締役社長を経て、2009年に<タイムアウト東京>を立ち上げます。

伏谷:コンテンツのひとつとして、東京に住む人を取り上げるインタビュー・ページを作り、そのトップバッターとしてまず、ムッシュにお願いしました。

——インタビュアは、現在副代表を務める東谷彰子さんですよね。

東谷彰子(以下、東谷):私は<タイムアウト東京>に転職する前、ラジオ局に勤務していまして、その頃、ディレクターを担当していた番組のゲストにムッシュをお迎えしたことがありました。でも、自らインタビューをしたのは<タイムアウト東京>がはじめてだったんです。何が嬉しいって、当時、まだ誰も知らない<タイムアウト>のことをムッシュはご存じだったんですよ。ロンドンでムッシュは<タイムアウト>を手にしたことがあり“こういうメディアがないと東京は元気にならないよね”と物凄く応援してくれて大感激しました。

伏谷:(頷いて)僕がタワレコをやめて<タイムアウト東京>のことを周囲に話すと10人中25人ぐらいから“上手くいかない”と断言されていましたからね(笑)。そんな状況の中で立ち上げて、インタビューに応じてくれたムッシュが“今、こういうモノが東京に来るのはいいよね”と絶賛してくれたんですからどんなに励みになったことか。僕らにとって最初の応援者は間違いなくムッシュです。

東谷:“転職して良かった〜!”と本気で安堵しましたから(笑)。インタビュー自体はスモール・トーク、いわゆる、ちょっとした話が中心で今もお読みいただけます。
https://bit.ly/2lK9ROa

——音楽に関するインタビューもされていますよね?

東谷:blues.the-butcher-590213(ブルース・ザ・ブッチャー)のアルバム『Rockin’with Monsieur』の発売後にインタビューさせてもらいました。音楽の解からない私にとても熱く語ってくださって。
http://arch2015.timeout.jp/s/ja/tokyo/feature/314

伏谷:僕自身、<タイムアウト東京>を始めてからは、タワレコ時代ほど最新音楽を追いかけていたわけではありません。でも、ムッシュはずっとアンテナを立て続けていた。あのアーティストはどういう人なんだろう?という興味から入ることもあったと思います。ですから、“ムッシュが見てきた日本の音楽を中心としたカルチャーの世界”をまとめた本が読みたかったと今更ながら思うんです。

東谷:そういえば、ご飯をご一緒した時にミュージック・ファミリー・ツリーみたいなモノを書いてくれたことがありました。ここにフォークの〇〇さんがいて、この人はこういう影響を受けたからこういう音楽になって、というような。あの用紙が残っていればなあって時々、思います。それと、ムッシュの気配りに感動したことも忘れられない思い出のひとつです。私は2011年に出産したんですが、数か月後の食事会でムッシュのマネージャー、大野さんがお祝いを用意してくれていて、それをキョトンとしながらムッシュが渡してくれたんですよ。包み紙を開けるとベビー・グッズがいっぱい。そこで初めてムッシュは私が母親になったことを理解したんです(笑)。お産の2か月前にも食事をご一緒していたのですが、その時、私はノン・アルコールだったのでムッシュは内心、病気かもしれないと心配されていたそうで。

——お腹は大きかったんですよね?

東谷:もちろん。だから、病気で太ったと思っていたみたい(笑)。そんな風にその場で理由を聞かずに心配してくれていた優しさに胸が熱くなりました。

伏谷:ムッシュは直接的に言わないことも結構、ありましたからね。だからこそ、成すがままにしている姿から教えられることも本当に多かったんです。“どうにかなるさ”ではあるんだけれど“無責任などうにかなるさ”ではない、そこが凄い好きだったし、会う度にそのニュアンスを貰って、次の日からの糧にしていました。

——ムッシュがエールを送ってから早10年、<タイムアウト東京>はwebだけでなくアプリ、紙媒体、イベントなど、様々な形で国内外に日本の魅力を発信しています。

伏谷:ですから、このタイミングで何か一緒にやれることがあったと思うんですよ。と言うのも今、海外の若手ミュージシャンが細野(晴臣)さんを再評価していて、中には細野さんの曲をそのまま日本語でカヴァーしているアーティストもいます。つまり、洋楽に憧れながら日本語で音楽をやってきた人たちが今、YouTubeなどを通して海外のアーティストから再発見され、リスペクトされている。それは音楽に限らず、例えば、バーテンダーのカルチャーなども同じです。バーというのは海外から日本に入ってきたけれど、銀座などに店を構えるオーセンティックなバーの在り方や考え方、技術は日本人がブラッシュアップしながら“バーテンダー道”みたいなモノを確立したんですよね。音楽もそういうところがあるような気がしているんです。輸入したモノを消化し、切磋琢磨しながら新しいモノを生み出しているって。だから、海外のミュージシャンが今、日本の音楽を掘り下げ、細野さんが注目されているんだと思うんです。となると、次はムッシュまで遡るのは目に見えています。だって、細野さんの前世代はムッシュですからね。そういう流れの中でムッシュと一緒にまた何かしたかったなあとホント、思いますね。
 
取材・文 菅野聖
 
伏谷博之(ふしたに・ひろゆき)
タイムアウト東京代表 / ORIGINAL Inc.代表取締役
島根県生まれ。関西外国語大学卒。
大学在学中にタワーレコード株式会社に入社し、2005年、代表取締役社長に就任。同年ナップスタージャパン株式会社を設立し代表取締役を兼務。タワーレコード最高顧問を経て、2007年 ORIGINAL Inc.を設立、代表取締役に就任。2009年にタイムアウト東京を開設し、代表に就任。観光庁、農水省、東京都などの専門委員を務める。
 
東谷彰子(とうや・あきこ)
タイムアウト東京副代表 / ORIGINAL Inc.取締役副社長
幼少期はマニラで、中学高校はバンコクで過ごす。1996年に帰国し、早稲田大学教育学部英語英文学科に入学。卒業後はTOKYO FMに入社。1年間の秘書部勤務を経て、ディレクターとして多様なジャンルの番組制作を担当。2010年1月、ORIGINAL Inc.入社。タイムアウト東京コンテンツディレクターとして取材、執筆、編集、企画営業、PRなど幅広い分野で活躍。国内外のアーティストから学者、スポーツ選手まで幅広いグローバルなネットワークを持つ。企業や省庁、自治体向けの高品質な多言語対応は高い評価を得ている。
 
タイムアウト東京
1968年にロンドンで創刊され、現在世界108都市39ヶ国13言語で展開するシティガイド「タイムアウト」の東京版。2009年のローンチ以来、東京のローカルエキスパート(=地元の目利き)として、徹底した外国人目線/世界目線を貫きながら、国内外に情報を発信。高品質なコンテンツと、グローバルなネットワークを活かし、インバウンド、クールジャパン、地方創生などにも貢献 している。運営はORIGINAL Inc.。
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