#010

DJ / 作家
George Cockle
ジョージ・カックル

人気DJ、ジョージ・カックルさんと待ち合わせをした場所はムッシュかまやつ(以下、ムッシュ)氏が眠る賢崇寺(東京・麻布十番)のお墓の前でした。“この世界からいなくなったことが今もまだ信じられないんだよ”と呟いた後、静かに手を合わせたジョージさん。目を閉じて、ムッシュに何を語っていたのでしょう? それを質問するのは流石に野暮だと思い遠慮しましたが、移動したカフェでは公に知られていない友情秘話もたっぷりと伺いました。

 


 
――ムッシュはジョージさんのことを“Chumly”と呼んでいましたよね。
 
ジョージ・カックル(以下、ジョージ):“Chumly”は僕が韓国のアメリカン・スクールに通っていた時に友人が作ったあだ名で、それを勝手に使っていたんだ。日本の学校に転校し、自己紹介で冗談半分に“Chumly”と名乗ったら、みんな本名だと思っちゃってね、それ以降、“Chumly”(笑)。遊びに行っていた新宿2丁目のロック・バー<開拓地>で知り合った仲間にも“Chumly”と呼ばれ出して、そのひとりがムッシュを紹介してくれた今剛(こんつよし)なんだよね。
 
――今さんといえば1958年生まれ、北海道釧路市出身の日本を代表するトップ・ギタリストです。
 
ジョージ:2コ下の彼と初めて会ったのは1974年2月20日。僕は前年の12月から2か月ぐらいかけて九州1周の旅をしたんだ。戻った理由は日本武道館で行われるロッド・スチュワートのコンサートを観るためでね、それが偶然にも僕の誕生日、2月20日だったんだよ。ライヴを見て、<開拓地>に行き、“18歳になったのでココで働かせて”とマスターに頼んだら即OK、その場に居合わせた客が今剛だったの。
 
――なんという偶然!
 
ジョージ:僕は1年バイトした後、7カ月かけてインドを1周し、さらに1年のアメリカ生活を経て日本に帰って来た。そして、再び<開拓地>でアルバイトをするんだけど、その時、店で働いている“今ちゃん”に再会したんだよ。
 
――つまり、おふたりはバイト仲間だったんですね!
 
ジョージ:そう、深夜12時から朝6時まで一緒に働いていた。彼はギタリストをやりながらバイト生活。<開拓地>ではレコードをかける係で僕は接客係だった。“今ちゃん”は閉店後、いつも店に置いてあるギターを弾いていたんだけど、その日初めて聴いた曲をそのまんま演奏しちゃうんだもん、最初は驚いたね。それで僕はギターをやめたんだ(笑)
 
――ジョージさんもギターを弾いていたんですね。
 
ジョージ:中学の時からね。当時も学校に凄く上手い奴がいてさ、ダンス・バンドで弾いている姿に大ショック! 彼はその後、売れっ子ギタリストになったよ。ディーン・ブラウンって言うんだけど知っている? マーカス・ミラー(b)をはじめ、様々なバンドで大活躍している、あのディーン・ブラウン。“今ちゃん”にしてもディーンにしても10代から凄腕だったなあ。
 
――“今さん”にムッシュを紹介されたのは1983年頃、ということはジョージさんが27歳ぐらい?
 
ジョージ:そうなるのかな。当時、サンフランシスコに住んでいた僕に“アメリカでムッシュがレコーディングをしたがっているからコーディネートしない?”と“今ちゃん”から声がかかり、ふたつ返事で引き受けた。だって、僕は「我が良き友よ」(1975年リリース)のレコードを発売当時に買っていたぐらい好きだったからね。その人を紹介してくれるって言うんだから、本当に嬉しかったよ。初めてムッシュと会ったのは“今ちゃん”の家だったと思う。当時から、ふたりは凄く仲が良かったんだ。ムッシュ? ロンドン・ブーツにピチピチのパンツ、Tシャツにジャケット姿で現れて、いかにもロック野郎って感じだったよ。ザ・フーやローリング・ストーンズのようなバンドマン、そういう匂いがプンプンしていた。それまでのイメージは“ポップ・スター”だったけれど、いきなり僕の中で“ロッカー”に変わったんだ。彼はワインを飲みながら“アメリカのスタジオでアナログ録音がしたい”と語り、すっかり意気投合。サンフランシスコに戻った僕はリサーチをして、候補先のスタジオをムッシュに伝えたんだ。そうしたらすぐ下見に来た。その中からサンフランシスコ湾に面したサウサリートという街にある<スタジオD>に決めたんだよ。レコーディングは1985年、ムッシュが46歳ぐらいだったかな。2週間で録音&ミックス、その後、ロスでマスタリングをしたんだよね。
 
――そのアルバムが1986年リリースの『ONE NIGHT STAND BROTHERS』ですね。バンド・メンバーはヴォーカル&ギターがムッシュ、バンド・リーダーは今剛(g)さん、そして高水健司(b)さん、難波正司(key)さん、島村英二(ds)さん。さらに、ゲスト・ミュージシャンも大勢参加しています。
 
ジョージ:スタジオでムッシュが急にホーンを入れたい、出来れば以前、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」(「我が良き友よ」のB面)で起用したアメリカのファンク・バンド、タワー・オブ・パワーを呼びたいと言い出したんだ。ところが“今ちゃん”がロスから連れて来たA&Mレーベルのエンジニア、スティーヴ・ミッチェルが“彼らは諸事情で録音に時間がかかるから2週間じゃ無理!”とNGを出したの。それで地元のミュージシャンを集めたんだ。次にムッシュがハーモニカ・プレイヤーも欲しいというので声を掛けたのがノートン・バッファロー。さらにフィドルも入れたいということになり、マイク・マーシャルにも参加してもらった。
 
――ノートン・バッファローはスティーヴ・ミラー・バンドのツアー・メンバーでドゥービー・ブラザース他、様々なウエスト・コーストのロック・ミュージシャンをサポートしているブルース・ハープの名手(2009年他界)ですし、弦楽器奏者のマイク・マーシャルも数えきれないアーティストと共演&録音をしています。アルバム『ONE NIGHT~』ではフィドルとマンドリンをプレイしていますね。それにしても本当に豪華メンバー!
 
ジョージ:ノートン・バッファローとマイク・マーシャルが共演しているアルバムは多分『ONE NIGHT~』だけだと思うよ。
 
――そういう意味でも非常に貴重な1枚だと思います。収録曲は全てムッシュの書き下ろしナンバーで9曲入り。
 
ジョージ:どれも2テイクしか録っていないんだ。なんせ、あのメンバーだから、その場でアレンジをしてあっという間に録り終わっちゃう。ただ、4曲ぐらいはサンフランシスコに着いてから曲を書いていたね。例えば、アルバムのラスト曲「SAUSALITO」はハウスボートが海に浮かぶ桟橋で書いていたのを覚えているよ。
 
――ジョージさんのことを歌っている1曲目の「Chumly Chumly」はムッシュとジョージさんのおふたりで歌詞を書いていますよね。
 
ジョージ:そうそう!あの曲は僕とムッシュが遊んだスポットや実話を詞に盛り込んでいるんだ。例えば、ゴールデン・ゲート・ブリッジの下で波乗りをしている時、ムッシュは僕の車(ビートル)の中からそれをずっと見ていたことがあって、でもその辺りはサメがたくさんいるので“サメの昼飯”と謳っている(笑)。“秋のSANTA CRUZ”というフレーズ、あれは、サンフランシスコから120キロ弱のところにある街までムッシュとカルマンギアカブリオレでドライヴした思い出のヒトコマなんだよ。あの時も忘れられない出来事があってさ。海岸沿いの道を走っていたら“あっ、かまやつさんだ!”って若い女の子の声が聞こえたんだ。ムッシュは車を降りて彼女たちのところに行き30分ぐらいお喋りしていた。戻って来た彼は“ああいうファンがいるからおバカをやっていられるんです”って言ったんだよ。感動したね。僕もDJになってファンに声をかけられた時は必ず言葉を交わしている。それはムッシュの影響です。残念なことに日本で女の子と笑いながら話しているとナンパしているように勘違いされちゃうんだよな。でもね、そうじゃないだよ。僕はムッシュからファンを大事にすることを学んだんだ。
 
――ところで、レコーディング中のムッシュで1番印象に残っていることを教えてください。
 
ジョージ:起きない(笑)。
 
――??
 
ジョージ:ミュージシャンはみんな、スタジオのすぐ傍にあるモーテルに泊まっていたんだけれど、集合時間になってもムッシュは現れないんだ。何回電話をしても出ないので、何かあったのかもしれないと心配して部屋のドアを開けたら、なんと受話器の上に枕やクッションが山積みになっていた。呼び鈴が聞こえないようにしていたんだよ、大笑いしちゃった。
 
――(笑)。さて、アルバム『ONE NIGHT STAND BROTHERS』は2003年にCD化されました。
 
ジョージ:オリジナルの2インチのアナログ・テープがサンフランシスコの家から出て来たので日本に持ち帰り、ムッシュにCD化を提案したんだ。だって、どこを探してもレコードが入手出来なかったからね。と言うより、ちゃんと売ったのかなあ。確か、タワーレコードに置いてもらった記憶はあるんだけれど、少なくともプロモーション活動は一切していないと思う(笑)。あんなに良いアルバムなのにね。きっと、どこかに在庫のレコードが眠っているはずだよ。
 
――CDは今も購入出来るので、是非、様々な方に聴いていただきたいです!そういえば、1曲、タイトルすらクレジットされていない隠しトラックがありますよね。
 
ジョージ:“こんなの出来ちゃった”とムッシュが書いた曲をバンドのひとりがなんとなく演奏しはじめたんだ。その音に誘われてスタジオの外にいたムッシュがブースに入り、スキャットで歌い出したの。リズムは彼の嫌いなレゲエだったのにね(笑)。遊びで録ったからレコードには入れなかったけれど、CDにはこっそり入れちゃった(笑)。
 
――なんにせよ、このレコーディングがきっかけでジョージさんとムッシュは親密な関係になったんですね。
 
ジョージ:うん。ムッシュは録音後も僕のサンフランシスコの家に何度も遊びに来てくれた。日本に帰った時も必ずと言っていいほど会っていたしね。飯を食いながら、ムッシュに色々質問されたよ。音楽、アメリカ文化や歴史など下から覗き込んで訊いてくるんだ(笑)。そういう写真が僕の家にはたくさんあるよ。
 
――ジョージさんが日本に拠点を移したのはいつ頃ですか?
 
ジョージ:30年ぐらい前。その頃からムッシュとは週に1回ぐらいは飲んでいたな。ムッシュが贔屓にしていた麻布十番にあるイタリアン<ピッコログランデ>や新宿のメキシカン・レストラン、六本木のドイツ・バー<バーンズ・バー>にもよく行った。当時、ムッシュの事務所が<バーンズ・バー>の向かい側にあったからね。事務所にもよくお邪魔してさ、ある日、浅川マキさんとリハーサルをしていたのを目撃したこともあるよ。
 
――ふたりは曲を残していますよね。浅川マキさんが1972年にリリースしたアルバム『MAKI LIVE』収録ナンバー「にぎわい」は作曲がムッシュ、作詞は浅川マキさんです。
 
ジョージ:僕はマキさんのレコードを全部、持っているぐらい大ファンなの。バー・カウンターでウイスキーを飲みながらスポットライトの灯りひとつで彼女の歌が聴きたくなって、アメリカの家をリフォームしたんだ。その浅川マキさんがムッシュの事務所でリハーサルをしているんだもの、腰を抜かすよね。“私、あっちで歌います”と言って冷蔵庫の影に隠れて歌っていた姿は今も目に焼き付いている。
 
――ところで、2005年に出版されたエッセイ『ジョージ★カックルのロッキンサーフィン』(戎光祥出版)のイラストはムッシュが描いていますね。
 
ジョージ:僕はいつもムッシュにアメリカや日本のロック話をしていたじゃない?“それを本にしなよ”と彼に勧められて、それで書いたんだ。だったら“イラストをお願い”と頼んだらOKしてくれたので、紀尾井町のコーヒー・ショップで描いてもらった。結構な点数があるけど全てワンテイク。紙とマジックペンを渡したらその場でサラサラっと描いてくれたんだよ。そういえば、このエッセイ本はキャロル&永ちゃん(矢沢永吉)のことからスタートしているんだけど……。
 
――日本の高校(インター・ナショナルスクール)に通っていた時、キャロルの「ルイジアナ」に衝撃を受け、そこから邦楽ロックも聞くようになったエピソードですよね。
 
ジョージ:うん。そんなわけで、僕は永ちゃんをリスペクトしているんだけど、15年位前だったかな、ロック・バーでムッシュと飲んでいたら、店の奥から男性が「かまやつさ~ん」と言いながら挨拶に来たの。それが永ちゃんだったんだよ。ムッシュに深々とお辞儀をしている姿を見て、とても礼儀正しい人だと感銘を受けたね。
 
――様々な逸話が楽しめる『ジョージ★カックルのロッキンサーフィン』の中で、ジョージさんはムッシュのことを“日本のチャック・ベリーだ”と断言していますよね。
 
ジョージ:ムッシュはチャック・ベリーのようにギター1本持って何処にでも行くでしょ。しかも、チャックの代表曲「ジョニー・B.グッド」(1958年発表)のように誰もが弾けて歌える曲「バン・バン・バン」(1967年リリース)を書いた。さらに、ムッシュはどんなバンドにでも勝手に入って演奏しちゃう(笑)。それもチャック・ベリーみたいだし、まさにロックって感じがするんだ。
 
――因みにジョージさんにとってロックとは?
 
ジョージ:スピリッツだね。例えば、ザ・ビートルズや(ローリング・)ストーンズは生き方もロックでしょ。ロックは嘘を付かせてくれない。つまり、正しい生き方なんだ、ロックって。そういうところが僕は好きだし、いつもピュアなムッシュが好きだった。例えば、こんなこともあったよ。神奈川県の金沢文庫にあるレストラン・バー<ザ・ロード・アンド・ザ・スカイ>でテストライダース(湘南を拠点に活動しているロック・バンド)と一緒にライヴをすることになっていたムッシュは、対バンが演奏を始めたら、慌ててギターを持ってステージに上がっちゃったんだ。突然、ムッシュがジョインしてきたので、そのバンドの連中はビビっちゃってさ、ムッシュも間違えに気付いたものの、そのままリズム・ギターで参加していた(笑)。最後は大盛り上がりになったよ。あそこの客はノリも凄くいいからね。ある時、僕が“東京にもこういう店があればいいのに”とムッシュに言ったら“これは横浜の文化、東京にないからいいんだよ”と言っていたな。
 
――<ザ・ロード・アンド・ザ・スカイ>のオーナーが逗子に作ったビーチハウス<サーファーズ>でもムッシュはよくライヴをしていましたね。
 
ジョージ:元々<サーファーズ>は夏の間だけオープンしている“ライヴが売り”の海の家だったんだ。その時からムッシュはよく出演していた。オーナーの成瀬君が若かりし頃、バイトをしていた横浜にあるライヴバー&レストラン<サムズアップ>にもムッシュは頻繁に出ていたし。
 
――<サムズアップ>をムッシュに紹介したのもジョージさんですよね?
 
ジョージ:初出演した日、彼は出番の直前まで横浜・中華街にあったエディ潘(g)の店で飲んでいてさ、車で迎えに行ったらエディも一緒に行くってことになり、そうなれば当然、ステージに上がるじゃん? でも、自分のギターを持っていないエディは<サムズアップ>の壁にぶら下がっていたギターで演奏したんだ(笑)。とにかく、その日以来、ムッシュは<サムズアップ>を凄く気に入って<サムズアップ>の弟子にあたる<ザ・ロード・アンド・ザ・スカイ>や<サーファーズ>にも出演するようになったの。今、急に思い出したけど、由比ガ浜に<シーキャッスル>という1957年にオープンしたドイツ料理店があってね、僕はそこの娘と幼馴染みなんだけど、なんとムッシュは1960年代から通っていたんだって。
 
――ところで、ジョージさんが好きなムッシュの曲は?
 
ジョージ:「Chumly Chumly」と言いたいところだけど(笑)、「サマー・ガール」(1966年リリース)も好きだし「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」もいいよね。「やつらの足音のバラード」(テレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』のエンディング・テーマ曲で1994年にセルフカヴァーCDをリリース)や「ノー・ノー・ボーイ」(1966年リリース)も最高だよ! でも、(吉田)拓郎さんが書いた「我が良き友よ」や「シンシア」(よしだたくろう&かまやつひろし名義で1974年にリリース)も好きなんだ。僕は日本のアルバムで1番、聴いているのはムッシュの『あゝ我が良き友よ』(1975年リリース)と拓郎さんの『元気です。』(1972年リリース)、そして、浅川マキさんのアルバムなの。
 
――ムッシュと最後に会ったのはいつですか?
 
ジョージ:彼が亡くなる前年、2016年の5月7日に<サーファーズ>で開催したライヴ・イベント『Local Hero Live 2016 vol.1』に出演した時です。あの日、ムッシュは凄く調子が悪そうで“2、3曲しか出来ないかも”と言っていたんだけどステージに上がったら、どんどん元気になって、なんと3時間半演奏し続けたんだ。MC担当の僕はびっくり、共演していたIZAWA BANDとTAD前田はプレイする曲がなくなっちゃってね(笑)。ギターを持つとホントやめないんだ。でも、あの日を境にムッシュは湘南に来なくなった。その後、メールでやり取りはしていたよ。実は、他界する3年位前からカントリー・アルバムを作りたいと言って収録曲の相談をされていたんだ。
 
――そうでしたか。
 
ジョージ:僕のラジオ番組にゲスト出演してもらった時はファーリン・ハスキー(1925年生まれのカントリー・シンガー・ソングライター/ギタリスト)の「I’ll Baby Sit With You」をスタジオで歌ってくれて、こういうカントリーをやりたいんだと言っていた。カントリーも得意な“今ちゃん”と一緒にアルバムを作ろうとしていたんだよね。まさか、ムッシュがいなくなるなんて思っていなかったから、のんびり構えていたんだけど……。彼のカントリー・アルバムを作らなかったのは僕の失敗です。やりたいことはすぐに動き出さないといけないね。
 
――同感です。
 
ジョージ:僕、次は小説を書きたいんだ。ストーリーとなる舞台や全体のイメージは出来ているの。当然、そこにはムッシュを彷彿させる人物も登場する予定なんだよ。
 
――それは早く読みたい! 楽しみにしています。
 
 
取材・文 菅野聖
 
George Cockle(ジョージ・カックル)
1956年生まれ、鎌倉出身。
幼少時代を日本・テキサス・韓国で過ごす。インドをはじめ世界各地を放浪し、18年に及ぶサンフランシスコ生活を経て拠点を日本に移す。多種多様な職業を経験した後、音楽プロデューサー、コラムニスト、作詞家、サーファーとして多忙な日々を送る。現在はインターFMや湘南ビーチFMで自身の番組を持つラジオDJとして大活躍中。著書に『ジョージカックルのWELL WELL WELL スローでメロウな人生論』(小学館)他多数。『ザ・サーファーズ・ジャーナル日本語版』のオーナー(マネージング・ディレクター)でもある。
 
オフィシャルwebサイト
http://georgecockle.com/
 
youtubeチャンネル
『ジョージ・カックルのLazy Days』
https://www.youtube.com/channel/UC3xE3Ynsx4DeiYEb77V0Dgg