Monsieur Voice / かまやつひろしインタビュー

株式会社リクルート発行 フリーマガジン『R25』2009年3月5日号(No.228)より / 武田篤典

Vol.231 BREAKTHROUGH POINT 〜突き抜けた瞬間

時代によって出てくるものに僕は敏感に対応したい
ムッシュかまやつ

米軍キャンプを回っていたり、GSブームを卒園したり。
本物のロバート・キャパやピエール・カルダンに会ったこともある。
ズーッとミュージシャンでありつづけて、ズーッとおしゃれな遊び人。
「最後のニューアルバム」みたいなことを言うけど、面白がってる。
平日午後3時、少しだけ寄っている、チャーミングなベテラン。
70歳? …全然そんな感じがしない!
 

 ムッシュは左手中指に、水玉模様のバンシーコー(象のキャラクターの描かれたやつ)を巻いていて指摘すると「あ、ギターでです」と笑った。そして「知り合いの法事に出た流れで軽く飲んじゃいました」と託びる。シャンパンから始まって、赤ワインを少々。
 シャンパンは「グルッグの凍る寸前まで冷やしたヤツ」であったかどうかは不明だが、70歳を記念したアルバムの1曲目でリメイクした「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」では、かつて「安いバーボン」と歌われていた詩が、「グルッグの〜」に変えられていた。かつて「ミック・ジャガー」と歌っていたところは「ビヨンセ」に・「アンティークな時計」は「ロレックス」に。
「コラボしたMicroが、僕らの世代にもつながるような言葉でいきましょうって。ヒップホップ系の成功像をイメージしたんです。でかいアメ車と金無垢のロレックスみたいな。「俺、ビヨンセが好きなんだけどどうだろう?」って言ったら、『COOL』って(笑)」
 
ムッシュの音楽遍歴と
人生とニューアルバム

 
 アルバムはムッシュの人生のショーケースのようだ。
「ゴロワーズ〜」はヒップホップになっていた。94年にもムッシュはこの曲をリメイクしている。ロンドンのアシッド・ジャズ系ミュージシャンやDJたちからのリスペクトを受け、現地で彼らをバックにレコーディンクしたのだ。『ゴロワーズ〜』のオリジナルは、75年発売のあるシングルのB面だったが、90年代前半に〝日本のレア・グルーヴ”〟としてロンドンで再評価されていた。A面だったのは『我が良き友よ』。吉田拓郎との親交のなかで贈られた1曲。結果的に90万枚を売り上げ、ムッシュ史上最大のヒットとなった。今回のアルバムでは11曲目に収録されている。その1年ほど前、ムッシュはアニメ『はじめ人間ギャートルズ』の主題歌を手がけた。エンディングテーマ『やつらの足音のバラード』は、小泉今日子やスガシカオにもカバーされたが、今回は布袋寅泰とのロッカバラードで。5曲目でトータス松本と歌った「どうにかなるさ」はムッシュ31歳のときのソロ・シングル。この約1年後にスパイダースは解散する。日本を座頭することになるフォークブームはそこまで来ていて、ムッシュも新たな何かを嗅ぎ取っていた。そんな時期の曲。プロデビューは高校時代だが、そのときのバンドはカントリー&ウエスタンだった。『どうにかなるさ』は、そのテイストにも通じるところがあって、「スパイダースでやっていたような音楽からまたそっちに戻りたいという気持ちもあたんでしょうね。」

 スパイダースからは『ノー・ノー・ボーイ』『あの時君は若かった』『バン バン バン』など5曲をセレクト。ムッシュは25歳から31歳までメンバーで、バンドの音楽的支柱でもあった。
「わけわからなかったけど、僕のなかでは20代から30代前半がいちばんクリエイティブだったかな。怖いものがなくて、ただ〝自分が考えたことを実行したい〟ということができた。〝旬〟の時期ですよね。このあいだ堺正章にさんとも話したんだけど〝俺たちスパイダース時代にやっていたことで食っているとこがあるよね〟って(笑)」
 堺正章、井上順の、スパイダースボーカルコンビとも『エレクトリックおばあちゃん』で共演。松任谷由美が書いた新曲を経て、森山良子・直太朗との〝親戚コラボ〟『懲りない2人』では、ムッシュのすべての音楽の入口であるジャズ風味のナンバー。最後は息子のTAROかまやつとのデュエットで音楽人生を振り返って、感動的に終わる。

 ムッシュの父上、ティーブ釜萢もミュージシャンで、ムッシュは75年に共演したアルバムも作っているが「バトンをきちんと渡されなかった気がした」と言う。だから「僕は息子にバトンを渡したかった。それはできたような感じがしましたね。」
 
馴れた所にとどまらず、
新しい、やりたいことを
 
このアルバムにはいろいろな音楽が入っているけど、さもありなん。ムッシュは変わって変わって、いろんなものにハマってハマって生きてきた。
「僕にとって音楽は快楽です。できればそのピークでわけわかんなくなったり死んだりしたいですね。(笑)」

 死は、〝いずれ来ること〟として、なんとなくずっと考えているという。70歳になったからではなく、意識し始めたのは66年の秋、スパイダースがヨーロッパ公演にでかけたとき。
「ヨーロッパの人は、物心ついたときに、死ぬことを考えるらしいんですね。で、やりたいことをきちんと見据えてやっちゃおうと。〝やってお見事、やり残したら残念〟みたいな感覚らしいんです。そのツアーで友人のフランス人とかにけっこう詰め込まれちゃった。(笑)」

 スパイダースでビートやギターサウンドを展開したかと思いきや、フォークに行き、でもそこで大ヒットを飛ばしたら、すぐにスルリと違う場所へ。
「基本的にカルチャーというのはぶっ壊してナンボ、というところがあるんでしょうね。だから僕はピカソの絵がいつまでも高いっていうのはよくないと思っているし。人間は生まれて生きているうちにどんどん価値観をぶっ壊していくことが面白いんじゃないでしょうか。それによって僕の場合、〝自分が生きている〟という実感が得られる気がするんですよね。あの、ぶっ壊すっていっても世間の価値観じゃなくて、自分の内部の問題ですけどね。」

 最初に実感したのは60年ごろ。
 ムッシュは青山学院附属高校在学中にミュージシャンとしてデビューし、50年代半ばから六本木で遊んでいた。遊び仲間だったレーサーでモデルでデザイナーの福澤幸雄経由で川添象郎を知り、彼の家が飯倉片町に『キャンティ』というイタリアンレストランをオープンさせるのだ。
「僕は10代のころ、アメ横でギンガムチェックのシャツやカウボーイブーツ、テンガロンハットでキメてて。そのまま初めて『キャンティ』に行ったら、完全にヨーロッパ文化だんです。それでカルチャーショックを受けて。(笑)」

 日本の遊び人だけでなく、イヴ・サンローランなど世界のセレブも集まった伝説の店である。後のスパイダース欧州ツアーでフランス人と死生観を語り合ったり、ピエール・カルダン本人と出会うことになるのも、この店があればこそ、だという。
「あそこに集まってた〝ヨーロッパ文化の人たち〟は、なんだか固いものをぶっ壊そうとしているように思えて。僕もそれに何かを感じていたのかな。自分のなかで核分裂を起こすのが正しいと思うんうんです。自分の得意なところに掴まりっぱなしだったら、進化しなくなる。時代によっていろんなものが出てくるでしょ? 僕はそういうものに敏感に反応したいんですよね。」

 スイスイと変わり続けできたのは、それだからなのだ。
「たぶん快楽の求める方は人によってふたつに分かれると思うんですよ。自分がいちばん得意なものに掴まってすっと生きるのが心地いいヤツ。それと、いつも違うものが来るのを快楽の種にするヤツ。僕は完全に後者です。人間って自分本位だし、自分が生きててラクな方に行くのがいいに決まっているし。僕だって、前者のタイプの人と交流して一杯飲むのも楽しいし。なんか人生ってサロンみたい。赤ワインを飲んで会話ができるってことが幸せなのかなあ。」

 この日もまさに〝幸せ〟を実践してきたムッシュである。
「僕はずっと自分のころをアマチュアでいない限り、ショービジネスになってアカが溜まっちゃうんですよね。好きで音楽を始めて、自由奔放にそのまま来ました。アマチュアとプロフェッショナルを分けるのは、決められたことをやるかどうかだと思いますよ。僕は台本も覚えられないそね(笑)…まあその、〝成れの果て〟です。いつもシナリオ通りにできる人間に憧れてきたんだけど、なれなかった成れの果て。〝なれなかった〟のは、50〜60年代には、クソでしたよ。でも、今の時代はそういうものもクソじゃなくなった。とてもうれしいですよ。」

 取材の最初、ムッシュは「人生最後のアルバム。今後この1枚でずっといくんですよ」と笑った。そんなの嘘だ。だって「何日か前にZAZEN BOYSとコラボして」っ嬉々として言うのだから。最後なんて完全な嘘なのだ。
「僕のなかの次のテーマを言ってしまいます(笑)。ZAZENみたいな人たちとコラボしたり、ルーツミュージックもやりたいですよ。ブルースとか、カントリーミュージック。永井〝ホトケ〟隆さんのブルース・ザ・ブッチャーというバンドにたまに参加させていただいているんですよ。盛り上げようともせず、コビを売ることもないスローブルースから始まってくのに、2時間後ぐらいには客が、もうスゴイことになって! 沼澤尚というドラムとか、KOTEZというハーモニカとか、中条卓というベースがいて、これがすごい! 面白くてねえ、今勉強させてもらってますよ…。」
ーーーね。
 
ムッシュかまやつ × R25時代
23歳のとき、ムッシュはハワイでステージをこなし、LAを経由してNYへ。そもそもは仕事だったのに、半年ほど気ままに暮らしたという。そこで時代の新しい息吹と出会うのだ。グリニッチヴィレッジで生活し、ジャズ三味の毎日だったが、ボブ・ディランがちょうど台頭。フォークソングのムーブメントが起き始めていた。帰国後、輸入雑貨店の片隅で発見したビートルズのアルバムを聴き、NYで得た時代感と合致するものを感じたムッシュ…スパイダースに参加するのが25歳である。